2024年02月19日
桐野利明の刀より辺見十郎太の刀のほうが長いような気がします
最近 地元紙に桐野の刀はすごく長いと紹介されていました。
西南の役の首謀者だと思います。 篠原国幹や西郷小兵衛 村田新八らの意見に従い 船で長崎に行き 日本中の武士に決起する時間を与えれば 大久保の東京組も大変だったと思いますが 人斬りの半次郎の「弱虫」卑怯者」という言葉に当時の薩摩人は物凄く弱く 堂々と人吉を通って 熊本城に入る道を選んだのが失敗でした。文献では 薩摩藩から西郷さんたち数名が東京の大久保たちに会って話し合いをするつもりであったそうですが。。
西郷先生は 当時 下半身の病気にかかり ウサギ狩りと温泉 と
ダイエットに励んでいらっしゃたようで 少なくとも西南戦争で西郷さんが指揮をとったことは 大分県のえのだけで 解散して城山に帰ろうと
いった具合で 文献は見当たらないと思いますが。
バカな日本のサムライの最後の戦争でした。 もし明治の世に薩摩隼人と呼ばれる薩摩人5000人が生きていれば 今の世はもっと違っていたと思います。
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桐野の身長は180センチです。
辺見十郎太も180センチです。 ついでに
大久保178センチくらい 西郷も178センチくらい
村田新八さんも1780くらい 坂本竜馬は170センチくらい
なぜ当時の人はこんなに身長が高いのかには 学者から聞いた話では 錦江湾に 安政年間 1860年代に 錦江罠に小魚が大潮で
毎日 浜に打ち上げられて当時ガキだった子供らが毎日食べたとか
うそかもしれません。
当時 ペリーが浦賀に来た時の日本人の男子の平均身長は
155センチくらいじゃなかろうか?東郷平八郎は153センチ
勝海舟155センチくらい 身長は当時の写真からSNSでいろいろな
説がありますがだいたいあっていると思います。
んで 利明の刀の話 霧島市の福山町にある 松下美術館で20年くらい前に 辺見十郎太の切り合った刀を見たことがあります。
さすがに大男らしく 刀長は1メートルはあったと思います。いまでも
松下美術館にあると思います。
一般的な日本刀は刃長70センチ前後、重さは600~700グラム程度が多いが、桐野の刀は刃長98.5センチ、重さ約1.4キロ。刀身の曲線を表す反りも0.6センチしかなく、見た目はほぼ真っすぐ。長くて反りが浅い刀は、抜刀しづらいという。
なぜサムライは縦と矛のほこをつかわなかったのでしょうか。
日露戦争で南山の戦いという 乃木さんの長男が亡くなる戦がありました。ロシアの機関銃の前に 遮蔽物がないのに 根性だけで飛び込んでいくので 1日に数千人死にました 大本営もヒトケタまちがっていると思うくらいびっくりする数字でした。結局4500人戦死
この戦いの精神に 薩英戦争の示現流 肉を切らして相手の命を
奪う精神があったと思います。 子の精神の最後はカミカゼ特攻隊になります
乃木大将は 東大文学部のような人で山縣有朋が22才でしたか少佐に選んだのが大間違いだと思います。当時は陸大はありません。
薩長閥がばりばりの頃です。奥さんは鹿児島人 銅像が竹の橋にあります。
幕末のころの薩摩人の出て来る本は若い時から好きでした。今後も書きます。
西南の役の首謀者だと思います。 篠原国幹や西郷小兵衛 村田新八らの意見に従い 船で長崎に行き 日本中の武士に決起する時間を与えれば 大久保の東京組も大変だったと思いますが 人斬りの半次郎の「弱虫」卑怯者」という言葉に当時の薩摩人は物凄く弱く 堂々と人吉を通って 熊本城に入る道を選んだのが失敗でした。文献では 薩摩藩から西郷さんたち数名が東京の大久保たちに会って話し合いをするつもりであったそうですが。。
西郷先生は 当時 下半身の病気にかかり ウサギ狩りと温泉 と
ダイエットに励んでいらっしゃたようで 少なくとも西南戦争で西郷さんが指揮をとったことは 大分県のえのだけで 解散して城山に帰ろうと
いった具合で 文献は見当たらないと思いますが。
バカな日本のサムライの最後の戦争でした。 もし明治の世に薩摩隼人と呼ばれる薩摩人5000人が生きていれば 今の世はもっと違っていたと思います。
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桐野の身長は180センチです。
辺見十郎太も180センチです。 ついでに
大久保178センチくらい 西郷も178センチくらい
村田新八さんも1780くらい 坂本竜馬は170センチくらい
なぜ当時の人はこんなに身長が高いのかには 学者から聞いた話では 錦江湾に 安政年間 1860年代に 錦江罠に小魚が大潮で
毎日 浜に打ち上げられて当時ガキだった子供らが毎日食べたとか
うそかもしれません。
当時 ペリーが浦賀に来た時の日本人の男子の平均身長は
155センチくらいじゃなかろうか?東郷平八郎は153センチ
勝海舟155センチくらい 身長は当時の写真からSNSでいろいろな
説がありますがだいたいあっていると思います。
んで 利明の刀の話 霧島市の福山町にある 松下美術館で20年くらい前に 辺見十郎太の切り合った刀を見たことがあります。
さすがに大男らしく 刀長は1メートルはあったと思います。いまでも
松下美術館にあると思います。
一般的な日本刀は刃長70センチ前後、重さは600~700グラム程度が多いが、桐野の刀は刃長98.5センチ、重さ約1.4キロ。刀身の曲線を表す反りも0.6センチしかなく、見た目はほぼ真っすぐ。長くて反りが浅い刀は、抜刀しづらいという。
なぜサムライは縦と矛のほこをつかわなかったのでしょうか。
日露戦争で南山の戦いという 乃木さんの長男が亡くなる戦がありました。ロシアの機関銃の前に 遮蔽物がないのに 根性だけで飛び込んでいくので 1日に数千人死にました 大本営もヒトケタまちがっていると思うくらいびっくりする数字でした。結局4500人戦死
この戦いの精神に 薩英戦争の示現流 肉を切らして相手の命を
奪う精神があったと思います。 子の精神の最後はカミカゼ特攻隊になります
乃木大将は 東大文学部のような人で山縣有朋が22才でしたか少佐に選んだのが大間違いだと思います。当時は陸大はありません。
薩長閥がばりばりの頃です。奥さんは鹿児島人 銅像が竹の橋にあります。
幕末のころの薩摩人の出て来る本は若い時から好きでした。今後も書きます。
Posted by クレヨンしんちゃん at 21:55│Comments(0)